エッセイ
題名 そぞろあるき ひびきの力
1993.6.1   産経新聞


 その女性は、私が朗読し終わると、こう話し始めました。
 「最初は、物語の内容を追っていました。そのうちにそれを止めて、声のひびきのみに集中して聞いていました。すると、何かがスッと入ってきて、私の欲しい声、お母さんの腕にだかれて安らぎを感じている自分を思い出したのです」と。
言葉のひびきには不思議な力が宿っています。言葉は、発すれば、必ず相手の心の中に流れ込んでゆきます。
 昨年、奈良県天理市の石神神宮の神業に参加しました。言葉には魂が宿っているという事を、当たり前の様に感じられた古代より受け継がれてきた言霊(ことだま)、祝詞の発声を勉強させていただくためでした。
 年一回のその日は、私の様に一般の者にとって、神職の方から直接に教えていただける貴重な機会です。
 奈良に居る、という事だけでも、いにしえの大和の言霊の息吹にまみえ、生き生きとしてくる心。古代への深い憧憬をともなって、押さえがたいものがあります。
 二日目の午後、直会(なおらい)の後。「良い神職さんにおなり下さい」とお声を掛けて下さるご婦人がいらっしゃいました。
 「神は言葉なり、最初に言葉ありき」とは聖書の御言葉ですが、普通の生活者の私であっても、言葉という仕事に携わる身にとって、その御婦人の言葉は、まほろばのいにしえ人よりの伝言、励ましの言葉の様にも聞こえ、胸中、熱いものがこみ上げてきました。
 すぐ又、まい戻った音の洪水の中で、古代の豊かな精神の調べに浸った後の私には、帰る途中のスポーツ中継のざわめきの中の日本語が、暫くは、聞きとりづらいものでした