テレビドラマ 『アンダルシアの虹・川(リバー)・スペイン編』 (2010/05/29) 個々の作品についてあおせの思いますことなど

「アンダルシアの虹・川(リバー)・スペイン編」

(制作NHK、 1982夏撮影、フィルム作品(国内版 80分 国際版 85分)
放送: NHK総合テレビ1983.3.19 (土)21:25〜22:45


他の作品もそうなのですが、随分と不思議なドラマだと思うのです。ある意味、かなり幻想的なドラマなのかも知れません。

そして昨今の流行りのドラマのようにサスペンス仕立てでもなければ、殺人事件が起こるわけでもない、おおよそ、劇的という表現からは、かけ離れたドラマなのですが、それでは退屈かというと決してそんなことはない。
観る人を引きつける、もう一度、観たい思わせる、そんな何かがある。
観ているとなんだか優しい気持ちになってくる、疲れが消えていく・・・
私はその何かをあえて表現するなら、表現することで不正確になることを覚悟の上で、それは「救い」だと思うのです。
高度成長を経て、経済性を重視してきたあまり、無くしてしまったものがこのドラマの中には豊かにあふれている。
日常を描いたドラマが不思議と思うのも、それは私たちのひょっとしたら選択できたかも知れないけれど、選択しなかった、私たちにとっては普通でない日常、それゆえに不思議と思うのかも知れません。

旅を続けながら音を探し続ける栄子(A子)、彼女が旅の中で、出会っていく人達の優しさ。

(作品の冒頭、中尾幸世の歌声とともにテロップが現れます。)

         地球の片隅で、川のほとりで
         今日も静かに暮らしている人達がいます
         この作品はスペインのアンダルシア地方のあるジプシーの家族と
         主人公栄子の交流を描いた物語です。

(ロドリーゴの『ある貴紳のための幻想曲』が流れ出します)

(栄子の語り)

        船に乗った、ジブラルタルを渡った
        アンダルシアに着いた、アンダルシア、スペインの南
        ピアノを調律しながら川を探した。
        グァダルキヴィル川、アンダルシアの父なる川
        ジプシーにの家族に会いたい
        いい音を聴きたい
        カミノブランコ
        白い道
        カーサブランカ
        白い家
        ブランコ、ブランカ
        白
        アンダルシアの色と音
        音を聴きたい

(白い井戸の反響音)

(鍛冶屋のペペの弾き語り)
        ぼくはジプシーの鍛冶屋 川の音をきいて育った
        ふいごトンカチの音はいつも答える−
        人生はめぐり会い

(栄子と学校が嫌いなマノリン)
マノリン   数学がいやなんだよ
       クラスに数学の名人がいるんだ
       えらいと思う?
栄子     どうかな
マノリン   顔を見るのもいやなんだ
栄子     1+1=1 わかる?
マノリン   え、1+1=2だよ
(栄子の微笑)
マノリン  1+1=1?なんのことだ?・・・
      1+1=1?そんなはずないな・・・

マヌエル  いい考え方だよ、教えてやってくれ

(栄子語り)
      シエスタ、長い長い昼寝の時間
      マノリンが答えを出した
      1+1=1
      手を取りあうこと

      マヌエルのお姉さん、カルメン。旅から帰った彼女。

      長女のピーリーから手紙が届いた。
     「弟と妹たちをよろしくね
      体が音になりきるまで踊っています。
      いつか観に来てね
      A子へ  ピーリー」

(ギター職人 アルフォンソにギターの作り方を教わった栄子)

アルフォンソ 世界中をさすらった
       20代はブラジル
       三年前ここに来て働きとおし
       はじめから終りまで苦労ばかり・・・
       手  手  手
       50年働きつづけて私はつかれた・・・
       気力、心の落ち着く長い長い時間・・・
       あなたに教えるのが楽しかった楽しかった
栄子    ・・・ありがとうございました・・・


(置き手紙、栄子の語り)
      「A子、私たちは旅に出ます
       旅は私たちの運命だから
       楽器を置いてゆきます
       困ったときに売りなさい
       鳥たちを川に帰してやってください マヌエル」
・・・私は行ってしまうだろう 鳥たちは残るだろう 歌いながら・・・
・・・私は行ってしまうだろう 鳥たちは残るだろう 歌いながら・・・