1993.5.28〜6.4   産経新聞 そぞろあるき (1993/05/28) 1993.5.28〜6.4   産経新聞 そぞろあるき
5/27朗読は音楽
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そぞろ歩き 朗読は音楽
一部抜粋
以前私は、「四季・ユートピアノ」「川シリーズ」といったNHKのTVドラマで、ピアノ調律師”榮子”を演じていました。チューニングハンマーで音を調律してゆく”榮子”の仕事は、人の心をも調律してゆく優しさに溢れていました。
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5/29宮澤作品にふれて
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そぞろ歩き 宮澤作品にふれて
一部抜粋
昨年は宮澤賢治さんの作品の中から『シグナルとシグナレス』を東京で、『よだかの星』を花巻で、それぞれ朗読させていただく機会がありました。
『シグナルとシグナレス』は特に好きな作品です。
物語も後半で、心を通い合わせている、郵便鉄道の木でできた電信柱のシグナレスと、本線の新式の電信柱シグナルは、親切な倉庫の屋根の計らいで、まっくろのぴろうどの夜の中、あたり一面の星の世界へと飛翔してゆきます。
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5/31志村先生との再会
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そぞろ歩き 志村先生との再会
一部抜粋
山中湖のペンションで、志村ふくみ先生、高橋巌先生御夫妻、笠井叡先生御夫妻を前にして、『銀河鉄道の夜』を朗読させていだいた夜からもう二年。京都・嵯峨野の清涼寺に近い工房で、志村先生は毎月一回、染めの実習をさせてくださっています。
かつて、初めてお目にかかった日に”色彩を呼び起こす声”というテーマを思いついて、大仰に言えば、私自身、歩み出した言えるかもしれません。
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6/1ひびきの力
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そぞろ歩き ひびきの力
 その女性は、私が朗読し終わると、こう話し始めました。
 「最初は、物語の内容を追っていました。そのうちにそれを止めて、声のひびきのみに集中して聞いていました。すると、何かがスッと入ってきて、私の欲しい声、お母さんの腕にだかれて安らぎを感じている自分を思い出したのです」と。 言葉のひびきには不思議な力が宿っています。言葉は、発すれば、必ず相手の心の中に流れ込んでゆきます。
 昨年、奈良県天理市の石神神宮の神業に参加しました。言葉には魂が宿っているという事を、当たり前の様に感じられた古代より受け継がれてきた言霊(ことだま)、祝詞の発声を勉強させていただくためでした。
 年一回のその日は、私の様に一般の者にとって、神職の方から直接に教えていただける貴重な機会です。
 奈良に居る、という事だけでも、いにしえの大和の言霊の息吹にまみえ、生き生きとしてくる心。古代への深い憧憬をともなって、押さえがたいものがあります。  二日目の午後、直会(なおらい)の後。「良い神職さんにおなり下さい」とお声を掛けて下さるご婦人がいらっしゃいました。
 「神は言葉なり、最初に言葉ありき」とは聖書の御言葉ですが、普通の生活者の私であっても、言葉という仕事に携わる身にとって、その御婦人の言葉は、まほろばのいにしえ人よりの伝言、励ましの言葉の様にも聞こえ、胸中、熱いものがこみ上げてきました。
 すぐ又、まい戻った音の洪水の中で、古代の豊かな精神の調べに浸った後の私には、帰る途中のスポーツ中継のざわめきの中の日本語が、暫くは、聞きとりづらいものでした
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6/2映画「マルメロの陽光」
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そぞろ歩き 映画「マルメロの陽光」
一部抜粋。
一人の画家の描くマルメロの木を通じて、見えてくるのは、静かに流れている生きた時間。
秋の庭先。画家自身によって植えられたマルメロの木に実っているりっぱな果実。
画家はその木の傍らで、葉や実に降り注ぐ光を油彩で描き始めます。熟れた重みで撓(たわ)んでゆく枝。画布の上では毎日その位置が修正されていきます。
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6/3横顔に豊かな人生
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そぞろ歩き 横顔に豊かな人生
一部抜粋
四月に、京都で小さなギャラリーを、今一人で切り盛りしている知人を訪ねました。元々のオーナーの留守を守りながら、彼女らしい企画展を開き、経営者としての自分の目と胸を磨いています。
終了時刻近く訪ねると、ちょうど個展開催中の画家の方がおみえで、若き知人はギャラリーを手早く片付けると、私たちを今が盛りの夜桜見物へと誘ってくれました。
銀閣寺から哲学の道と、疎水に沿った桜の木の下を歩きながら、
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